「特に用事もないし、別にいいよ」
 そう答えると、翔子はにんまりと笑う。
「じゃあ放課後に教室で待ってて」
「陸上部はいいのかよ?」
「今日はミーティングだけ。じゃあ帰らないでちゃんといてよ?」
 ああ、と俺が答える。
 放課後残るって事は、今日の夕飯は麻奈に任せるかぁ…。
 でも麻奈なら俺よりも美味いメシ作れるから問題ないかな?

 そして放課後。
 学校内にはほとんど人がいないみたいだ。
 校庭ではまだ部活もやってて活発だけど、この時間の教室は寂れてる。
「まだかよ……もう五時回ってるじゃん」
 翔子の話では、ミーティングは五時には終わると言っていたけど、まだかかるのか?
 あんまり遅くなると麻奈が心配するから困るんだけどなぁ…。
「おいおい、外もう暗いじゃん! しかも教室に一人って……怖えー」
 時間がどんどん過ぎていく。もうすぐ六時を指す。太陽はとっくに沈んでいた。
 タッタッタッタっタ…。廊下から人の走る音が聞こえてきた。そしてガラッと教室のドアが開いた。
「ご、ゴメン! ミーティングが長引いちゃって…!」
 翔子がきた時間はちょうど六時。危なく下校時間に差し掛かりそうだ。
 とりあえず早いところ帰りたい俺は、イの一番にこう言った。
「いいからさ、用があるんだろ? 早いとこ言ってくれよ」

 なんかもうウンザリしてきた。早く帰らないと麻奈も心配するだろうし…。
 余計な話は省いてほしいんだけどな。時間だって、とっくに六時過ぎてるし。
「た、高橋に……ス、スス」
「す?」
「ス……ス、スキ………スキンヘッドの友達っている?」
「……ふざけてんなら速攻で帰りたいんだけど」
 何なんだ、今日の翔子は。らしくないって言うか、いつもより変だ。
 妙に声が上ずってるし、顔だってさっきよりも赤くなってる。
「い、今のは間違い! あの…高橋にス、スキな人って……いるの?」
「え…好きな人……? いや、まぁ今はいないけど」
「あっ、そうなの。そう、まぁそれも私には関係ないけどね」
 ……何なんだ、コイツは。さすがの俺も堪忍袋の緒が切れそうだ。
 でも俺がキレたとこで翔子に敵うはずもないんだけどな。
 あのキックの痛みを思い返すだけで、アバラがきしむみたいな錯覚に陥ってしまう。
「おい、そんなこと聞くためにこんな時間まで待たせたのかよ」
「そ、そうよ。悪い?」
「お前、少しは反省しろよな! 何かお詫びがあってしかるべきだ!」
「……そこまでいうなら」
「――え…」
 急に翔子が近づいてきた。顔が一気に接近する。
 驚いた俺は少しも動けなかった。ただ翔子の行動を享受するしかなかった。
「…お詫びよ」
 翔子の柔らかな唇が、俺の頬に当たった。
 今までに感じたことのないような感触だった。
「じゃあねっ、また明日」
 そう言って走り去る翔子。おれはただ一人、薄暗い教室に取り残された。

 とっくのとうに時計は六時を回ってしまった。
 外はもう真っ暗で、そろそろ学校の警備員も見回りにくるだろう。
 そうなる前に帰らなくちゃいけない。けど、なぜか俺の足は動こうとしなかった。
「なんなんだよ、アイツ…」
 俺は右手で自分の頬に触れた。
 今さっき、翔子の唇に触れた場所だ。
 お詫びとは言ったけど、まさかこんなことをするとは…。
 それともアイツにとっちゃたいした事じゃないのか…?
「クソー……わけわかんねえ」
 思考が混乱する。今までにない経験に俺の頭は完全にヒートしきっていた。
 翔子が去ってからどれくらい経っただろうか。
 ふと時計に目をやると、針は六時半を指していた。
「やべっ、早く帰らないと」
 ちくしょう、今日は厄日か…? 明日からどんな顔して翔子に会えばいいんだよ?
 憂鬱な気持ちを抱きながら、俺は教室を後にした。はぁー……どうしたもんかな。



1,麻奈も心配してるし、すぐ家に帰ろう                  ←
2,気持ちを落ち着かせたいから、少し校内をブラつこう         ←