特にやる事も無いし真っ直ぐ家に帰ろう。俺は智也に声をかけると一緒に学校を出た。
「それにしてもお前あの転校生と何があったんだ?」
帰り際智也がそんなことを聞いてきた。
「何って、俺は一方的にあいつに絡まれただけだ」
「それにしちゃあ随分仲がよさそうだったぞ」
「はぁ?? お前の目は節穴か? 誰があんな性格の悪い野朗と仲良くなるか!」
「誰が…性格が悪いですって?」
背後からそんなセリフが聞こえた。心臓の鼓動が一気に早まる。
俺は命の危機を回避するために全力で走り出した。
「ちょっと、待ちなさいあんたーーー!!」
叫ぶ上原を後にして俺はただひたすらに走った。
家についてドアノブに手を掛ける。
「鍵が開いてるって事は、麻奈はもう帰ってるのか」
ドアを開いて家に入る。居間には麻奈の姿は無い。
恐らく自分の部屋でマンガでも読んでいるんだろう。
「俺もとっとと鞄を置いて部屋でマンガ読むか」
そう呟きながら階段を登り、俺は自分の部屋のドアを開いた。
「はわっ!」
「おわっ!!!」
俺が部屋に入ろうとした瞬間、耳に入った叫び声で俺は情け無い叫び声を上げてしまった。
「って、麻奈か」
ほっと胸を撫で下ろす。
「きょ、今日は帰りが早いねお兄ちゃん!」
「ん、まぁな。ところで、お前俺の部屋で何してるんだ?」
「え? いや、あのその…えーと」
俺が問いかけた瞬間顔を真っ赤にして慌てふためく麻奈。
「ななな、何でもないよ。ちょっとその高2の教科書ってどうなってるのかなって思って!!」
何故かは知らないが、どもりながら麻奈はそう言った。
「ん、何の教科書だ? 英語? 数学?」
「ええ、英語!」
「ん、ちょっと待てよ」
俺は鞄がから英語の教科書を取り出して麻奈に渡した。
「後でちゃんと返しにこいよ」
「う、うん。分かったおにいちゃん」
「用はそれだけか?」
「うん」
「じゃ、とっと自分の部屋にもどれ」
この部屋には麻奈に見られちゃ不味いものもあるから、俺は麻奈を手早く部屋の外に追い出した。
俺の秘蔵コレクションが見つかったら軽蔑されるのは間違いない。
「それにしても、あいつなんで教科書探すのに洋服ダンスまで漁ってるんだ?」
我が妹といえど理解に困る奴だ。
部屋でマンガを読んでいたら、時間はあっと言う間に夕方になった。
「腹が減ったな、そろそろ夕飯の準備しなきゃな」
俺はマンガを閉じると、居間に降りていった。
居間では麻奈がTVを見ていた。
白い服と黒い服を着た女の子2人が主人公のアニメだ。
「麻奈、お前高校生になってそんなアニメ見るなよ?」
「えー? 面白いよ。お兄ちゃんも見れば?」
「アホ」
俺は麻奈を適当にあしらうと台所に向かった。
「あれ、お兄ちゃん夕飯作るの?」
「あぁ」
「私が作るからお兄ちゃん居間にいていいよ?」
「そう言うわけにはいかないだろ。ここ最近麻奈に作ってもらってばっかだし」
「いいの、私料理が好きだから。それにお兄ちゃんのご飯あんまり美味しくないもん」
「む……」
事実、麻奈は料理が上手で俺は下手糞だから返答のしようも無い。
「わかった、じゃあ今日も夕飯は麻奈に任せる」
「任せてください」
「でも、俺も手伝いくらいはするよ。野菜の皮むきは結構得意だからな」
「それじゃあ、野菜の方はお願いします」
麻奈は笑顔で言った。
冷蔵庫からニンジンとジャガイモを取り出して黙々と皮を向く俺。
俺は昔からこういった手先でチマチマやる事が得意だったりする。
ニンジンの皮むきなんて余所見をしながらだってできる。
「お、今日のバク点レイザーラモス出んじゃん!」
「お兄ちゃんテレビ見ながらなんて危ないよ!」
「大丈夫大丈夫。俺にはフォーズの加護が……って痛っ!!!!」
「大丈夫!?」
指を見ると、包丁で切れて少し血がでていた。
「あぁ、大丈夫だってこんなもん。ほんの少しきったくらい」
「だめだよ! 手、出して」
そう言うと麻奈は俺の手を強引に取り、血の出ている指を口に含んだ。
「おい、麻奈。やめろって!」
しかし、俺が止めても麻奈は執拗に俺の傷口を舐めて来る。
「っ!!」
麻奈の舌が傷口に触れるたびに淡い痛みが指先を走る。
「ちょ…麻奈」
やがて痛みは段々と別の感覚に変わっていく。
「麻奈!」
俺は麻奈の肩をもつと彼女を引き離した。
「あ」
麻奈は呆とした表情で俺を見ると、気まずそうに目線を逸らした。
その麻奈の挙動に俺も動揺してしまう。
「その、麻奈。俺のことを気遣ってくれるのは嬉しいんだけどさ、血って結構汚いんだぜ」
「ごめんなさい」
視線を落としたまま呟く麻奈。
「でもね」
しかし突然麻奈は顔を上げて俺を見据えた。
「お兄ちゃんの血、汚くなんて無いよ」
そんな言葉をいつもは見せた事の無い顔をして言った。
その後は特に何も起こらず、無事に食事を作る事が出来た。
今晩のメニューはカレー。我が家の夕食の5分の1はこの料理でまかなわれる。
「んじゃ、いただきます」
「いただきます」
2人そろって言った後、俺はカレーを口に運んだ。
「ん、今日のカレーは結構美味いな」
「色々隠し味とか使ったんだ。醤油とかヨーグルトとか」
「何かそれだけ聞くと凄く不味そうな気がするんだけどな。不思議だ」
「ふふ、私の料理の腕を信じなさい」
胸を張って自慢げに言う麻奈。確かに麻奈の料理はそこら辺の主婦には負けないレベルだ。
麻奈の料理の腕は昔から頼りにしてる。
「それにしても不思議だよな。昔は俺と麻奈、同じくらいの料理の腕だったのにな。
いつの間にこんなに差が出たんだろう」
「才能よ、お兄ちゃん」
「麻奈も言うようになったな」
「えへへ」
にまりと笑う麻奈。何か馬鹿にされたような気分だ。
食事を食べ終わるって麻奈とテレビを見た後、俺は自分の部屋に戻った。
今晩は特にやることも無い。別に遊びたい気分でもないし、もう寝よう。
俺はそう決めるとベッドに潜り込んだ。
布団をかぶり、目をつぶる。
睡魔は驚くほど早くやってきた。それに抗う事も無く、素直に眠りを受け入れる。
夢に入るその瞬間、怪我した指がズキリと痛んだ気がした。
何か夢を見ている。ずっと昔の記憶の反芻。
でもそれがどういうものか分からなくて、そんな夢はただ疲労がたまるばかりだ。
疲れた、もうこの夢は見たくない。
「ちょっとお兄ちゃん! 起きて!!」
俺の眠りを邪魔する声。
「お兄ちゃんたら、また遅刻だよ!!」
「う……」
俺は重たい瞼をやっとの事でこじ開けて目を開いた。
「麻奈……か」
「おはようお兄ちゃん。よかった、珍しく起きてくれて」
頭が重くてボーっとしながら、俺は焦点の定まらない目で麻奈を見上げた。
「さ、今からなら急げばまだ間に合うから早く制服に着替えて!」
そう言うと俺に制服を手渡す麻奈。
「うー、お前はお母さんか!?」
「馬鹿なこと言って無いで早く着替えて」
「わかった、着替えるから部屋の外に行っててくれ」
麻奈の言葉に自分の不甲斐無さを痛感しつつ、俺はしぶしぶ着替えを始めた。
着替えて一階に降りると、味噌汁の二オイがした。
テーブルの上にはすでに朝食が置かれていた。
「いただきま〜す」
オレは朝刊を広げてもそもそと朝食を食べ始める。
「もー、お兄ちゃん!なにのんきに朝ごはん食べてんのよ!学校遅刻しちゃうよ」
「へいへい」
オレはしぶしぶ朝刊をたたみ朝食を一気に平らげる。
「んもー、もっとゆっくり食べてよね」
「おまえが遅刻するって言ったんだろ」
「う。確かにそうだけど…やだ!もうこんな時間!お兄ちゃん待ってたら私が遅刻しちゃうよ!私先に行くね。いってきまーす☆」
うまく逃げやがったな。さてオレもそろそろ出かけるか。
家から出ると俺は腕時計を見た。
「あと10分か。間に合うか微妙な線だな」
俺は軽く深呼吸をした後、駆け出した。
体調は今朝も良好、このままのペースで行けばギリギリ間に合うだろう。
5分ほど走って、昨日いけ好かない女子と激突した曲がり角にさしかかる。
流石に今日は平穏に学校まで行けるだろう。
そう油断した俺が馬鹿だった……
「くそっ! またお前か!!!」
今回はぶつかりこそしなかったが、隣の道から飛び出してきたのは紛れも無く上原だ。
「それはこっちの台詞よ! 私に付きまとわないで欲しいわね、ストーカー!」
「何だとー!!」
俺と上原は横並びになって走る。
こうなりゃ意地でもコイツより早く学校にゴールしてやる。
俺は一層走るスピードを速めた。
いくら偉そうな事を言っていようと所詮は女子。
俺が本気で走れば、上原と俺との距離は開くばかりだ。
より一層差をつけてやろうとスパートに入ろうとした瞬間、
「きゃっ!」
後ろで小さな叫び声が聞こえた。
足を止めて後ろを振り返ると、道路に倒れている上原の姿が目に映った。
「おい!」
俺は上原のもとに駆け寄って肩を掴んだ。
「どうした、上原!」
「っ、大きな声出さないで! ちょっと転んだだけよ」
そう言って俺の腕を払うと、立ち上がろうとする上原。
「痛っ!」
だが上原は途中で屈みこんでしまった。
「大丈夫か?」
「膝……擦り剥いたみたい」
見れば確かに上原の膝は擦り剥けて血が滲んでいる。
「学校まで歩けそうか?」
「馬鹿にしないで、この位の怪我なんて何にも無いわ」
しかしそう言う上原の顔は苦痛で歪んでいる。
「ったく、小がないな。肩を貸してやるから一緒に保健室まで行くぞ」
「ばっ、何言ってんのよあんた!」
「問答無用」
俺は半ば強引に上原の腕を掴むと俺の肩にまわした。
「よし、じゃあゆっくり歩くぞ」
「〜〜っ!」
顔を真っ赤にしながら上原は何か言いたそうに口をモグモグさせた後、
顔を伏せて黙ってしまった。
「何だよ、もしかして恥ずかしがってるのか?」
「そ、そんなわけないでしょ!!」
「分かったから耳元で怒鳴るな!」
俺たちはそんな小競り合いをやりながら、学校まで歩いて行った。
15分ほど歩いて何とか保健室の前まで到着した。
最初こそ文句ばかり言っていた上原だけど、5分もするとすっかり静かになって俺に体重を預けるようになった。
正直、そんな上原の姿を見ていると複雑な気持ちになる。
俺は保健室の前で立ち止まると、上原の腕を俺の肩から離した。
「よし、ここまでくりゃ後は一人で平気だよな」
「あぁ」
上原は小さな声で相槌を打つ。
「じゃあな。あんまり無理すんなよ」
俺はそのまま教室まで歩いていこうと背を向けた。
「待って!」
後ろから発せられた上原の声に振り向く。
「……」
「何?」
「その……ありがとう」
俺から視線を逸らして呟く上原。
「それに、ごめんなさい。私に構ってなかったら遅刻せずに済んだのに」
そう言う上原の姿は本当にすまなそうな表情だ。
「気にするなって。俺は遅刻の常習犯だぜ? 1つや2つ遅刻が増えたってどうってことない」
「でも…」
「何だよ、随分としおらしいじゃないか。昨日の鬼みたいな形相はどうしたよ?」
「…っ!」
「これからもそれくらい大人しければ俺も助かるんだがな」
「何ですってあんた!!!」
「怖っ!! このまま捕まったら殺されちまうな」
俺は笑いながらそう言うと、そのまま保健室を後にした。
後ろから聞こえる、『今度あったらぶちのめしてやるんだから!!』なんて物騒な台詞は無視だ。
とりあえず上原を保健室に残して、俺は教室へ向かった。
もうとっくのとうに一時間目は始まっている。
「また今日も遅刻か。せっかく朝は起きれたんだけどな」
でも上原に言ったように、遅刻の一つや二つ増えたってどうってことないかな。
教室についてドアをガラッと開ける。
すると教室内全員の視線が俺に向いて、そして「またか」というような目付きで黒板に顔を向けた。
「おいおい今日も遅刻かよ〜」
一時間目の授業が終わると、すぐさま智也が言ってきた。
「今日はいつもと違うんだよ」
俺もすぐに返す。すると智也がまた尋ねてきた。
「どうせ寝坊だろ? 言い訳はいらねえって」
「違うっつーの! 朝に上原と会って……まぁ色々あって保健室まで送ったらこんな時間に…」
「へぇ〜、上原さんと保健室にねえ…」
いきなり背後からの声。しかも、その声には少なからず不気味な空気も孕んでいた。
俺の首がゆっくりと後ろに向く。するとそこには滝川翔子の姿があった。
「な、なんだよ、滝川!」
それには、さすがの俺も驚いた。しかも滝川の口は笑っているが、目は笑っていなかった。
「ふ〜ん、昨日転校してきた子とずいぶん仲が良いわね」
「しょ、しょうがないだろ。怪我した女の子を放っておけって言うのかよ」
「そんなこと言ってないわよ。ふ〜ん、君があの転校生とねえ…」
そう言って、滝川は教室から出て行った。もうすぐ二時間目が始まるってのに、どこに行くんだろう?
滝川に疑問を覚えながら、俺は二時間目の用意をし始めた。
滝川が二時間目が始まる前に教室から出て行って、戻ってきたのが三時間目の始まりの時刻だった。
いったいどこに行っていたんだろう。あの真面目な滝川が授業をサボるなんて。
「おい滝川、二時間目はどこにいたんだ?」
三時間目の担当教師がそう尋ねた。
「気分が悪かったんで保健室に行ってました」
さらっとそう言って、滝川は席についた。
保健室……そういえば上原の奴、どうしたんだろ。擦り傷にしちゃ帰ってくるのが遅いな。
ガラッ。滝川が帰ってきたその五分後、上原が教室に戻ってきた。膝にはちゃんと絆創膏が張られていた。
「上原お前、転校二日目でもう遅刻か?」
「すいません、登校中に怪我しちゃって、保健室にいました」
そう言って上原も席についた。そこで俺は気がついた。
どこか上原から活気を感じない。朝まで元気だったのに、なぜか今は落ち込んでいるようにも見えた。
しばらく上原の方を見ていると、向こうも俺の視線に気がついて、目が合った。
「……っ」だけど、すぐに上原の方が目を逸らした。なんだ? 俺が何かしたか?
……何にも思いつかない。いったい俺がなにしたって言うんだよ。
もやもやとした気持ちが拭えないまま、気がつくと三時間目が終わっていた。
「ねえ高橋」
「ん? なんだよ、滝川」
いきなり何だ、と思いつつ、そう返す。
「今日の放課後、少し時間ある?」
「……あ、えと、何の用?」
「私が聞いてるのは時間があるかないかよ」
ど、どうしたんだ、いきなり…。しかも少しご立腹のようだし。
さて、どうしたものだろう。
1,「特に用事もないし、別にいいよ」 ←
2,「帰ってメシ作らなきゃいけないから、ゴメンな」