だめだ…
 睡魔の誘惑に耐え切れない。
 俺は麻奈の声を無視すると布団に篭城する作戦を取った。
「もー、ダメだよそんなんじゃ!」
「あかん、もう少し…寝かせて」
「寝かせません!」
 そう言うと麻奈は女の子とは思えない力で布団を掴み、俺から強引に引き剥がそうとする。
「ふぐ…ぬぐぐぐぐぐぐぐ」
 それを必死になって阻止する俺。
 使命に燃える麻奈の力と、寝ぼけている俺との力はほぼ互角。

 布団の引っ張り合いはしばらく均衡し、やがて諦めたのか麻奈は布団を放した。
 麻奈の恨み言が微かに聞こえるのを無視して俺は布団をかぶりなおした。
 外敵が居なくなった事によって、安心して睡眠を貪る事ができる。
 そう思うとあっと言う間に俺は再び寝てしまっていた。

「うぅぅぅ…」
 俺は唸りながら目を覚ました。
 目を開いて天井を見つめる。眠っていた意識が次第に覚醒するにつれて今日も俺は寝坊したんだなと確信した。
 時計を手に取る。
 時間は……10時。
 その事実は俺を驚愕させた。
「エクセレント! 間違いなく今までの寝坊記録のトップ10に入るレコードだ!!」
 気が狂ったのか、俺の意思と反して口からは緊張感の無い言葉がでてくる。
 それにしてもおかしい。
 何故夜更かしもしていないのに俺はこう毎度毎度寝坊するのだろう?
 麻奈に起こしてもらっても、そのこと自体を忘却してしまうほどの睡眠ぷりだ。
「まじでなんかの病気じゃないだろうな?」
 俺は真面目にそんなことを心配しだしていた。

 1階に降りて台所に入る。
 すると既に食卓には朝食が並べたあった。
 きっと麻奈が用意しておいてくれたのだろう。その気配りに俺は心から感謝した。

 ふと昔の俺たちのことを思い出す。
 昔から俺の両親は忙しくて、両親がつきっきりで面倒を見てくれていたのは俺が2歳くらいまでだった。
 俺たちがある程度大きくなると、俺と麻奈はじーちゃんばーちゃんの家に預けられた。
 じーちゃんとばーちゃんはいい人だったけど、それでも小さい頃の俺たちは両親が恋しくて仕方なかった。
 でも幼稚園に上がっても、小学生になっても、両親は俺たちにかまってくれる余裕は作れやしなかった。
 麻奈は、そんな親の姿をただ黙って見つめていた。
 邪魔しちゃいけないと、本当は遊んで欲しいのにそんなことは一言も言わずに。
 ただ物悲しい目で見つめていた。
 そんな麻奈を見て、俺は兄貴としてコイツを絶対守るなんて考えてたけどこれじゃあ立場が逆だな…
 本当に俺はダメな兄だ。そう考えると何だか自分が虚しくなった。

 朝食を食べ終わり仕度をして時計を見る。
 この時間からだとどんなに急いでも2時間目は間に合わない。
 もうここまで来るとヤケだ、今朝はゆっくりと登校することにしよう。
 そう決心すると俺はゆっくりと通学路を歩き出した。

 流石にこの時間だと通学してる生徒なんて誰もいない。
 ちょっと寂しい気もするけど、こっちの方が気が楽とだとも思う。
 誰もいなければゴタゴタに巻き込まれる事も無いのだから。
 だが、あの曲がり角に近づくにつれて俺の心臓は高鳴り、皮膚は気味の悪い汗を噴出する。
 もはやトラウマだった。
 俺は曲がり角にさしかかると、ゆっくり壁から顔を覗かせて隣の道の様子を探る。
 見たところ怪しい人影は無い。
「ふぅ、よかった」
 俺は汗を拭いながら曲がり角を歩いてゆく。
 これから毎日こんな朝を迎えなければならないのかと思うと頭痛がした。

 学校に着くと授業は既に3時間目が始まっていた。

 廊下を歩きながら、そこで思うことがあった。
 はて、何か忘れてるような。
 遅刻に関することで何か。えーと、えーと……あ。
 自分でも顔から血の気がサッと引くのが解った。
『明日は遅刻しちゃ駄目ですよー!』
『ああ、わかってるよー!』
 昨日の久野の言葉が脳裏をよぎった。ついでに返答する自分の言葉も。
「しまった…」
 やばい。久野に殺されるかも。真面目な話で。
 ……とりあえず、三時間目が終わるまで待って終わったと同時に入って、いつの間にか座席に俺がいた!という寸法はどうだろうか。
「お前いつの間にいたんだよ!」とか言われたら「え?朝からいたぞ?」と切り返せばいいのだ。
 よし、これで行こう。
 教室の後ろの扉の前で目立たないようにしゃがんで待機していると、授業終了のチャイムが鳴り響いた。同時に久野の
「起立、礼!」の声が聞こえてくる。
 前の扉から教師が出てきた。よし、今の内にこっそりと…
 扉に手をかけ――ようとして手は空を切った。
 勢いよくガラッと扉が開いた。
 目の前に女性が立っていた。
 目が合った。委員長――久野だった。
 ニコッと久野が笑った。ただし、目以外の場所で。
 俺も唇の端が引きつった笑いを返した。
 次の瞬間、俺はどっかのアニメの姉弟の弟みたいに耳を引っ張られて教室に引きずり込まれた。

 教室に怒声が響いている。発生主はもちろん久野で、対象は当然俺。

 そして俺は教室の床に正座。
 内容は俺が遅刻するということの罪について。
 3時限と4時限の間も散々に説教され、授業がはじまったので開放されたが、4時限が終わって休み時間になったので
また説教されている。
 他のクラスメイトはいつものことなので生暖かい目で俺を見守っている。誰も助けてくれない。助けてくれよ。
「…というわけで、遅刻するということはお父さんとお母さんに対する裏切りにもなる――って、聞いてるんですか!?高橋君!」
 ちょっとでも俺の意識が逸れるとこのように切り返してくる。まるで昨日の帰り道の再現。まぁ、俺が悪いから仕方ないんだけどさ。
「ああもう、昨日約束したから今日は流石に遅刻しないと思ったらいきなりこれですか…。まったく、どうなってるんですか」
「いや、その、ごめんなさい…」
 ふう、と大きくため息をついた久野はうんざりとした表情を見せたが――次の瞬間笑顔を見せた。
「そうです!良い事を思いつきました!」
 俺はぎくっ、と体を震わせた。
 どうせ、こんな時に思いつくことはどうかしているような内容に決まっているからだ。
「私が高橋君を毎朝起こしに行けばいいんです!」
 ……は?
「何で今まで思い付かなかったんでしょう、丁度通り道だし、ついでに起こして行けば良かったんですよ」
 え、え、え?な、何?
「と、言う訳で明日から起こしに行きますから。良いですよね?」
 俺は…



1.久野の迫力に押し切られ、思わず頷いてしまった。
2.「流石にまずいだろう。それは」と言葉を返した。