はぁ、はぁ。
さて、今日は入学式当日。
何故こんな日に俺が息を切らして走っているかというと――寝坊だ。
寝坊をバカにしちゃいけない。何せ睡眠欲は人間最大の欲望と言われているのだから。だからこれは仕方のないことなのだ。うん。絶対そうだ。
…………
そんなこんなで学校に着いた。着いたはいいが……
時計を見る。
「堂々と入るわけにもいかねぇよなぁ……」
遅刻確定。さあ、どうするか。普通に入って全校生徒の注目を浴びるのもゴメンだ。俺は静かな高校生活を送りたい。
三人寄らば文殊だか孔明だかの知恵というが、一人じゃどうしようもない。っていうかもしこの場に俺が三人居ても画期的な方法を生み出す自信はない。断言しよう。
……言ってて悲しくなってきた。
「ん?」
ドアから体育館の中を覗いている人物を発見。これはもしかして……もしかしなくても不審者?
女の人みたいだけど……怪しいことに変わりはない。
……あ。
いいこと思いついた。
不審者を捕獲→先生に突き出す→「不審者と交戦していた為に遅れました」
ふっふっふっ……正に完璧。司馬仲達も裸足で逃げ出すことだろう。
というわけで早速……
「あの?」
「ひゃっ!?」
息巻いて向かった割には腰の引けた声の掛け方だが、不審者はびくっ、と体を震わせて、高速で振り向いた。
「ごっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「は? いやいやこちらこそ……」
あまりにも凄い勢いで謝られたので、こっちも動揺して妙な返しをしてしまった。

が、不審者は――
「ごめんなさいごめんなさい!」
依然として謝り続ける。
「こちらこそ……」
「ごめんなさい!」
「こちら……じゃなくて!」
俺が突っ込みを入れると、不審者はきょとん、とした顔で俺を見た。
不審者は背が低くて、髪はやや長め。顔立ちはいわゆる童顔だった。恐らくは年上だろうが、美人というよりも可愛いという表現の方が合っている気がする。
不審者も変わったもんだ。いや、不審者の古今なんか知らないけど。
……というか、不審者なら声掛けた時点で普通逃げないか?
「あの」
「は、はい」
まだ若干脅えが入った声だ。
「失礼ですが、不審者の方ですか?」
口に出してから思う。
失礼以前の問題だ。
「そんな、恐れ多い!」
使い方間違ってない?
言いながら、不審者(仮)は両手を前に出し、首と一緒にぶんぶんと横に振る。
何というか、小動物的な動きだ。実際小さいし。
「そりゃ、不審に見えたかもしれませんけど」
「はあ」
「断じて不審者じゃありませんよ?」
「で、どちらさんで?」
新入生のお姉さんとかかな。
「教師、です」
「な、なんだってー!」
教師かよ!
「そんな、驚くことないじゃないですか」

誇らしげに言った直後の俺の反応に傷ついたらしく、少ししょげている。
普通は驚くわい。
「お若い……ですね」
「新米ですけど、心は錦ですよ」
意味がわかりません。
「えと、それでその新米先生がどうして体育館を覗いてるんですか?」
「あの、恥ずかしながら……」
当然の疑問を尋ねると、先生は元々小さい体を更に縮めて消え入りそうな声で呟いた。
「迷ってしまいまして、遅刻を……」
絶句。
「……どこで?」
「……校舎内で」
「……そうですか」
ここの学校ってそんな複雑な構造してたのか?
「うぅ……どうしましょう」
「さぁ……」
「……? あの」
「あ、はい」
「ここの生徒さん、ですか?」
遅い。聞くのが遅い。
「今日から、そうっす。早速遅刻してますが」
「駄目ですよ、遅刻は」
「っすね」
何故だろう。先生は至極正しいことを言っているはずなのに釈然としないのは。

「とにかく、私も今日からここの学校ですし。広瀬京香といいます。よろしくお願いしますね」
そう言うと先生はにっこりと笑い、お辞儀をする。俺もつられて、頭を下げた。
「ども。大野舜です。こちらこそよろしくお願いします……ってそんな場合じゃないでしょ今は!」
危うく先生のペースに乗せられるところだった。この人は何度俺に突っ込みをさせるつもりだ。
……今はとにかく体育館に潜入することが急務。ここで即興漫才やってる場合じゃない。
「そうでした……どうしましょう」
本当に困っているようだが、この人の場合は困っているようにも焦っているようにも見えない。どことなく、ぽけっ、とした雰囲気がそうさせているのだろう。
「どうしましょうかねぇ……」
本当にどうしたもんか。
二人して体育館の前でうんうん唸っていると、重い扉がガラン、と開いた。
「……こんなところで何をやっているのかね、君たちは」
まさか入学早々説教を食らうことになるとは思わなかった。
しかも、先生と一緒に。

「ふう……」
入学式も(俺と広瀬先生以外は)無事に終わり、喧騒に包まれる体育館前。新入生全員に配られたパンフを見た。どうやらこの後は各々の教室に向かうらしい。
「俺のクラスは……」
「1年4組。私と同じね……これで何年連続?」
いつの間にか背後に居た晶子が口を挟む。
「小1んときからだからな。10年か」
腐れ縁ってのはこういうことを言うんだろうな。
「何の因果で10年連続あんたと机を並べて勉強しなきゃいけないんだか」
「やかましい」
「ちゃんとノートとりなさいよ」
「善処する」
「『だが断る』って言ってるようなもんじゃない」
「いや、そんなことないぞ?」
少しばかり分が悪くなってきたので再度パンフに目を落とす。4組は――くそ、2階か。1階がベストなんだけどな。
「んじゃ、先行ってるぞ」
俺は光速のランニングバックのように人と人との間を縫って走り、教室に向かう。
「ちょっと、待ちなさいよ!」
誰かが遠くで叫んでいるような気がした。
まあ、俺には関係のないことだ。

「ん、ここだな」
恐らくは全国共通であろう教室のプレート。そこには1-4の文字。

「一年間お世話になりますよ……っとうごっ!?」
背後からの奇襲に俺はなすすべもなく、吹っ飛ぶようなかたちで教室へ転がり込んだ。
誰だ? とは思わない。こんなことをするような奴は決まってる。
「ってーな。俺が何したってんだ」
「何したじゃないでしょ! 勝手にずんずん進んで!」
「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」
ポロシャツが良く似合う元天才子役ライクなセリフを口にすると、更にもう一撃。
「まあまあ……落ち着いて、お二人さん」
「「やかましい!」」
「……相変わらず息はぴったりだねぇ」
「っていうか、テル?」
「え、あのテル?」
「うん、そのテル」
テルテルうっさいが、それがこいつの名前。
金子輝。小学校の頃の親友だ。昔っからガキの癖して飄々とした奴だったが、それは今も健在らしい。学区ギリギリだったので、中学は隣の学校に通うことになり、それ以来あまり顔を合わすことはなかったが――
「同じ学校かぁ」
懐かしさに、思わず顔が綻ぶ。
「まさかまたシュンと同じ学校に通うことになるとはね」
テルは何故かため息。
「しかし、何も変わってないな、シュンも小高さんも」
「テルもね」
晶子も笑う。
「夫婦漫才も絶好調みたいだし」
「「誰が夫婦だ」」
「……わかったから、席着こうぜ」
言われて教室内を見回すと、既に全員着席していた。
「先が思いやられるな、テル」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ」
そっけない奴。

それからしばらくして、初日だからか特に騒がしくもない教室に、ドアを引く音だけが響いた。担任が入ってきたのだろう。
さて、どんな先生かな――
「あ」
期せずして、声を漏らしてしまった。「担任」もその声に反応し、俺の方を見た。
「あ……」
「広瀬先生」もかなり驚いたようで、ドアを開けた状態のまま、硬直している。が、すぐに持ち直し、申し訳なさそうな顔をして、頭を下げた。
「さっきはごめんなさい」
「いや、こちらこそ」
何か既視感がする。……数十分前の会話だろこれ。
「いえ、こっちこそ」
「いえいえ……っていうか、とりあえず進めてください」
「あ、はい。そうですね」
とてとてと教壇に向かい、デカデカと黒板に名前を書いている間に、晶子が俺に耳打ちしてきた。
「あの人、さっきあんたと一緒に説教されてた先生よね?」
「そうだけど……何か嫌な覚え方だな、それ」
「事実でしょ。入学式から説教食らう生徒なんかそう居ないわよ」
教師もね、と付け足す。

「教師はまあ置いといて……生徒の方は意外と毎年恒例かもしれないぞ」
「あるワケないでしょ……」
晶子が半ば呆れ気味に息をつくと、先生がくるん、とこちらに向き直った。
「広瀬京香です。現代文と古典を担当しています。教師になって間もないですけど、頑張りますのでよろしくお願いします」
そういって、あの柔らかい笑顔。主に男子からの歓声があがる。気持ちはわからんでもない。歓声にはにかみながら静めると、続けた。
「えっと、明日は午前だけで終わりです。特に必要なものはありませんが、配るものがいーっぱいあるので、鞄を忘れないで下さいね」
「いーっぱい」をジェスチャーで表現する辺りが妙に幼く、またしても本当に教師かと疑いたくなる。あの小柄な体でやられると、子供にしか見えない。
「今日の連絡はそれぐらいですね。それじゃ、皆さんまた明日。歯は磨きましょうね」
どっかで聞いたようなセリフだな。
「一緒に帰るか? シュン」
「方向が真逆だろうが」
「ま、そう言うな。校門までってことで」
「あいよ」
幸先がいいかどうかはともかく。
こうして俺の高校生活は幕を開けた。